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当初労災がおりず、無理して働いた No.[527]
投稿者:斎藤洋太郎 投稿時間:2008/03/18 [火曜日] 21:45:06
 1934年生まれ。1960年に三陸津波で実家が流され、父母きょ
うだいは朝鮮に帰り、次々に亡くなり、残った兄弟も呻吟している。
 1981年に日本舞踊発表会用の縫い仕事を2階で行い、1階におり
るときに飛び出ている梁に頭部を強打して失神・失禁。
 労災保険未加入で、社長は工場なら労災だが、針仕事は労災でないと
言い張り、労災の証明を拒否、上野労働基準監督署も取り合わず。労災
がおりないから、無理して働き続けたが、いよいよからだが続かなくな
り、1983年にようやく労災認定。
 労災障害等級裁判は、最高裁まで敗訴、頸椎捻挫とされてしまった。
被災者側、現ひまわり診療所の石橋先生が中枢損傷と診断。国側、当時
労災病院泌尿器部長だった岩坪先生も、中枢損傷と判断。しかし、裁判
所には通じなかった。
 このたび、同じ傷病につき、労災再発申請。再審査棄却後に東京地裁
で敗訴。控訴審で、九州の岩坪先生から3回にわたり意見書をいただき
、頚椎捻挫は誤診だ、運動障害・知覚障害・膀胱直腸性機能障害から中
枢損傷だ、不全損傷なので無理して働くこともある、労災がおりなかっ
たから働かざるを得なかったと強く主張。
 国側は、東邦医大もと医学部長を出し、泌尿器科検査で膀胱障害はな
いと主張。確かに国立病院で被災者は2回検査をしてお
り、1回目は尿量が少なく正常に見えたが、2回目で中枢損傷による膀
胱障害を確定診断。国側泌尿器科医は2回目の検査を見ずに誤判断した
もの。国側の主張が面白く、1回目の検査後に外傷があったはずと言い
出す始末。被災者側は、それならその『外傷』を立証してくださいと主
張しました。1981年の事故が誤診され続け、石橋先生の綿密な診察
と診断、問診によって原因が究明されたのです。



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